生きるのが苦手な私へ

それでも頑張って生きようね。

2019年7月29日

「悲劇のヒロインぶってるだけ」

「見ててイラつく時がある」

 

 

そんな風に言われたことがあった。

 

 

それも、当時付き合っていた人に。

 

 

 

 

 

私を悲しくさせていたのはお前なのに

 

そんなことを言うんだと思った。

 

 

 

私はツラいと言うことも、

不安になることも、

泣くことも、

何もかも許されないのだろうか。

 

 

 

 

こういう場合ですら私は人のせいにできない。

 

 

人のせいにできたら楽になれるのになあ。

 

 

私にはそれができない、私が弱音を吐かなければ誰も不快な気持ちにならなかったんだ。

 

 

 

ああでも、こういうのがさらに彼の言う「悲劇のヒロインぶってる」なのかもしれないなあ。

 

 

 

 

ただでさえ人に悩みを打ち明けるのが苦手なのに。

 

さらに怖くなってしまった。

 

かなり勇気を出して打ち明けられても

 

その後すぐに後悔をしてしまう。

 

 

 

私の悩みなんてどうでもいいだろうに聞かせてしまった、

迷惑をかけてしまった、

これじゃまたあの時みたいに「悲劇のヒロインぶってる」と思われてしまう、

イラつかせてしまったかもしれない、

嫌われてしまう、

怖い、

ごめんなさい。

 

 

 

こんなことがずっと頭の中でぐるぐる。

 

 

 

 

 

昔のように弱く見られたくなくて。

 

弱い人間でい続けたくなくて。

 

変わりたくて。

 

強くなりたくて。

 

でも変わったのは見た目だけで。

 

 

今も私は泣き虫で弱いままだった。

 

 

 

不安でいっぱいになって、耐えきれずに泣いてしまう。

 

 

 

だからやっぱり私は悩みを打ち明けるのは苦手なんだ。

 

 

 

でも自分の中に溜め込むのももうしんどいや。

 

 

 

私は救われないね。

ママの話 ②

誰かと遊びに行く時、一人で出かける時。

 

決まってママは

 

「どこへ行くの」 「誰と」 「何時に帰ってくるの」

 

こんなことを聞いてくる。

 

 

 

小さい頃なら聞かれるのもわかる。

 

ただ、高校生にもなって「どこへ」「誰と」と聞かれるのはわからなかった。

 

ましてや社会人にもなった今でも聞かれるなんて。

 

 

「夜ご飯はいるのか」と聞かれるのは分かる。

作ってもらっている身だから。

 

 

でも何時に帰ってくるかなんて正直わからないでしょう。

その場のノリがある。

わざわざ何時まで遊ぼうねなんて決めたりしない。

 

 

どこへ行くのと聞かれても、これもわりとその場のノリで決まったりするから、事前に決めない(決まらない)ことが私は多かった。

だいたい「わからん」と答えるのに何故こうも毎回聞いてくるのか。

何度「なに、お前も行くわけ?」と聞きかけたことか。

 

 

誰と、なんて聞いてどうするというのか。

高校や社会人になって知り合った人なんて知らないじゃない。

中学生の子ですら名前はかろうじて私から聞いたことある程度の子がほとんどじゃない。

答えたところで「…誰?」か「名前は聞いたことあるけど顔はわからない」と言うじゃない。

それなのに答える意味はあるのか。

 

 

 

 

いい子でいたいからイライラしながらも答えていた。

 

 

 

 

ただ一度、「誰だっていいじゃん」と言ったことがあった。

 

そしたら「なに?言えない相手なわけ?」と怒ってきた。

 

 

 

 

そうじゃないじゃん。

 

 

 

 

私は言えないとかじゃなくて、こうして言葉と態度で縛り付けられるのが嫌なの。

 

 

 

 

どうしてそれに気づいてくれないのだろう。

 

 

 

 

その時に気づいたことがあった。

 

 

 

 

ママは私のことが心配でこんな事をいつまでも聞いているんじゃないんだって。

 

 

 

 

 

 

 

私、ママから信用されてないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

大事ではあるけれど、信用はしていないのだと。

 

 

私のことが心配というのもあるけれど、一番はママ自身が安心したいだけなのだと。

 

 

 

 

だから私はママの気持ちがわかるのに、ママは私の気持ちがわからない。

 

 

 

 

ようやく気づいた。

 

 

 

 

そりゃいい子にもなれない。

 

言葉や感情で私を縛る。

 

 

 

 

しょうがない。

 

 

信用を得られなかった私が悪い。

 

 

いい子になりたいという気持ちも努力も、きっと足りなかっただけ。

 

 

 

 

だから、ママが過保護で過干渉になってしまったんだ。

 

 

過保護で過干渉なママにしたのは、私だ。

 

 

私がそうさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもね、それでも私だって感情はあるの。

 

ママの言い方で余計に「どこへ」「誰と」「何時まで」って答えたくなくなったりするの。

 

 

あれは昨年の五月。

 

私は一人暮らしをしている年上の彼氏ができた。

 

彼の家で過ごしていたら時間はあっという間で、夜の10時を過ぎていた。

付き合ってすぐというのもあって、まだバイバイしたくなかった。

そしたら「今日泊まれば?」って言われて、帰る選択肢なんて一瞬にして消えた。

 

親には何も言っていなかった。

 

彼氏ができたことすら言っていなかったから。

 

言わなかった理由はもちろん、「また今度会わせてね」ではなく、「どんな人か」とこと細かく聞いてくるのが目に見えていたため。

それに、過干渉の相手をするのはもうとっくに疲れていた。

 

 

そしたら日付けが変わる少し前だったかな。

 

「誰とどこにいるの?何時に帰るつもりなの?」

 

こんなLINEが入った。

 

「今日は泊まる」と返せば

 

「誰んトコに?」「だったら早く連絡しなさいよ!!」

 

しまいには

 

「泊まるトコ知らせないなら泊まるな!!帰ってこい!!」

 

 

 

もう嫌になった。

 

そこまで信用されてないのかと。

 

こんな言い方しかできないのかと。

 

私の心配なんかじゃない。

 

自分が不安なのが嫌なだけだ。

 

 

 

私のことが大事なら、もっと信用してほしい。

私のことが大事なら、もっと優しくまもってほしい。

 

 

大事なものはつい手放さないようにギュッと持ってしまいがちだけど、それじゃ壊れちゃうよ。

 

大事なものほど大切に優しくそっと持たなきゃいけないのよ。

 

 

早くそれに気がついて。

 

 

 

 

私が信用してる大人に全て話したことがあった。

 

「私はママに信用されてない気がする」と。

 

「そうだよ。信用してないんだよ。もちろん大事にはしているけどね」と言われた。

 

 

 

私は間違っていなかった。

 

 

 

私、ママのことよくわかってるでしょ。

 

 

ママにとってのいい子になりたくて、いつも顔色をうかがってたからだよ。

 

 

ねえ、ママ。

 

 

ママの言葉や表情で縛られるのが泣くほどつらいって早く気づいて。

 

 

 

過保護で過干渉なママは、変わってくれるでしょうか?

 

 

信頼してる大人に言われ、一度ママに手紙を書いたことがあった。

 

 

「自分から動かないと気づいてくれないよ」

「怒るのではなくあくまで自分の気持ちをしっかりと伝えて親よりも先に自分が一歩大人になってみよう」

「面と向かってだといろんな感情でいっぱいになって上手く伝えられないだろうけど手紙ならいいでしょう」

 

そう言われて手紙を書いた。

 

今でもそこまで干渉されるのは信用されてない気がして嫌だったということ。

もう少し信用してほしいということ。

彼氏ができたこと。

 

しばらくは「誰と」とか「どこへ」はあまり聞かれなかった。

 

でも彼氏と別れて以来、また聞いてくる機会が増えたね。

 

 

ねえ、手紙は意味がなかった?

 

 

これ以上どうしたらいい?

 

 

もう私は大人になれそうにないです。

 

 

 

 

私、ママのこと嫌いになりたくないよ。

 

 

 

 

こんなダメな娘でごめんなさい。

 

 

 

ごめんなさい。

ママの話 ①

「やりなさい」「やめなさい」

ママはよくこの言葉を使う。

 

「するな」

と言う時もあった。

 

社会人になった今でも言われることがある。

 

 

 

昔からよくその言葉を言われ、そして私は言われるままその通り動いた。

 

ママが言ってることは正しい、だからママの言うことを聞かないいけない。

いい子にならなければ。

じゃないと怒られる。

 

だから私は「わかった」と言うしかなかった。

他に選択肢が無かった。

 

そんなことを繰り返していたら私は指示が無くては動けない、どうしたらいいか分からない人間になった。

 

あれほど「しなさい」「やめなさい」と言ってきたのに、私が中学生や高校生になって進路を決めるとき「自分のことは自分で決めなさい」と急に突き放したりする。

 

 

この時も「しなさい」だったね。

 

 

私が後で大変な思いをしないようにだとか、やっておいて良かったやめておいて良かったと思えるようにだとかそういった私のためを思って全部言ってるんだろうけど。

 

 

生きづらくてたまらなかった。

 

いい子になる為にはこんな小さなことまで言いなりにならなければいけないのかと何度も思った。

 

成長するにつれ、指示が無ければ何も動けない自分が嫌でたまらなかった。

 

ママがなんでも言うことを聞かないと怒るから私が結果こういう人間になってしまったんだと怒りすら覚えた。

 

 

自分で決めることを教えてくれなかったのに突然「自分で決めなさい」というママが怖かった。

 

 

決めれないと泣いたら怒るのだろうか、それとも呆れるのだろうかと。

 

 

 

 

 

私のママは私をいい子だと思ってはいない。

 

 

 

 

それが何よりも悲しいのに、ママはそれに気づかない。

 

 

 

 

「他と一緒じゃつまらない」と言うくせに都合が悪くなると「他の子は誰もやっていない」と言うことも私、文句言ったことないよ。

 

 

「やりなさい」と言われたらやったよ。

 

 

「やめなさい」と言われたらやめたよ。

 

 

 

だから少しくらい私だって怒ったって良いじゃない。

 

怒りながらでも言うことは聞いてるんだから。

 

なのにどうしていつもそれに対してママも怒るの。

 

 

 

ママは怒りながら命令したりするのに私が怒るのはダメなの?

 

 

 

怒りながらではいい子になれない?

 

 

 

どれだけ嫌でもニコニコしながら「わかった」と言えない限り私はいい子になれない?

 

 

 

そんなことを今でも私はママに聞けずにいる。

 

 

 

 

私ね、ママの育て方にはとても不満があるけれど、それでもママなりに大事に育ててくれてるのも分かっているから、嫌いになれないんだよ、好きなんだよ。

 

 

私、いつになったらママにとっていい子でいられるのかな。

 

 

もういい子にはなれないのかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ねえ、私、ママのこと、好きだよ。

 

 

でもね、ママのせいで私、自分の子どもがほしいとは思えなくなっちゃった。

「いい子」の話

私は昔から、両親にとって「いい子」でありたかった。

 

褒められたかったから。認められたかったから。怒られたくなかったから。怒らせたくなかったから。両親が好きだから。

 

そんなことを私は子供ながらに思い、両親が求める「いい子」を目指した。

 

小学生の頃。

テストでいい点を取るのは当たり前。100点だっていっぱい取ったし、100点じゃなくても90点台がほとんど。でもそれが「当たり前」であって常に褒められるものでは無かった。80点台だと「ちょっと難しかった?」と聞かれた。

 

遊ぶ前に宿題を済ませなさいと言われたから、遊ぶ前に宿題を終わらせた。

 

他にも大きい事から小さい事まで「やりなさい」と言われれば必ずやったし、「やめなさい」と言われればどれだけやりたかったことでも少しは「嫌だ」と言ってみても結局私は我慢した。時には泣きながら我慢した。

 

遊びに行くと言えば私のママは「誰と」「どこへ行くの」「〇時には帰ってきなさい」と必ず言われた。

私はそれが昔から当たり前だったから最初は普通に答えてたし、高学年になっても、小学生の女の子だから心配なんだなくらいにしか思ってなかった。

これがどの家でも「普通」なのだと思っていた。

そして私が「いい子」になるための方法だった。

 

中学生になった。

相変わらず「誰と」「どこで」「何をするの」「暗くなる前には帰ってきなさい」だった。

これが「普通」だと思った。

でも、「暗くなる前に帰ってきて」とは言われたりするけど、そこまで詳しくは聞かれないと周りの友達に言われた。

 

相変わらず「やりなさい」「やめなさい」とママは言う。

 

だんだんママの言うことに縛られるのが嫌になった。

 

嫌になった私は勉強を頑張るのをやめた。

そしたらあっという間に馬鹿になった。

もちろん褒められなくなった。

 

でも、なんだかんだいい子ちゃんを完全にはやめられなくて、きっと親は私に反抗期はあったと言うのだろうが、私的には「あの時は反抗期だった」と思える時期がない。

だって「やめなさい」と言われたことはやめていたから。

この程度のわがままなら許されるというラインがなんとなく分かったりしたので、許される程度のわがままは沢山言ったけれど、私が本当にやりたかったことはだいたいダメだと言われ、その度にちゃんと我慢した。沢山我慢したよ。

 

高校生。

高校生になっても「誰と」「どこへ行くの」「何時に帰ってくるの」は言われ続けた。

いつまで聞いてくるんだと思った。

でも私はちゃんと答えてた。

 

2年生になると本格的に進路のことを決めていかなくてはならなかった。

 

私は特にこれを学びたいというのは無かった。

でも大学に行きたかった。大学で色々なことを見て、聞いて、学んで、そこから興味が出てやりたい事が見つかるのではと思ったから。

けれどママは「勉強嫌いなのにまだ勉強するの?」「やりたい事がないならお金が勿体無いし弟が小学生になるからそこでもお金が沢山いるからどうせなら働いて欲しい」と言った。

大学生にしかできないことは沢山あるはずで、経験は何よりも人生の財産になると思っていて、そこに無駄なものなんて何一つ無いと思った。

でも、ずっとママの言う通りの人生を歩いてきたから「働かなきゃ」となってしまった。

 

そして私は高校を卒業してすぐ社会人になった。

 

社会人になっても友達と遊ぶ時は「誰と」「どこに行くの」「何時に帰ってくるの」は変わらない。

 

いい子ちゃんでいるのも疲れて嫌になったはずなのに、それでも私はいい子ちゃんになりたかった。

 

昔からだった、褒められたい、いい子だと思われたい、という生き方は今更変えられないのだ。

 

私は「いい子」でいたいけど、「いい子」でいたつもりだけど、ママがダメだと思うことをやりたいと言ってしまっている時点で私は「いい子」ではないのだと社会人になってようやく気付いた。

 

ここまで干渉するのは心配してるからではなく、私のことを信用していないからだと気付いた。

 

私がママにそうさせてしまっているんだ。

だって私は「いい子」じゃないから。

 

だから叱られることも多くはなかったけれど褒められることも少なかったのか。

だって私は「いい子」じゃないから。

 

ここまで「いい子」にこだわる私は気持ちが悪いね。

でも沢山褒められたかっただけなんです。

少しでも自慢の娘になりたかったんです。

怒られたくなかったし怒らせたくなかったんです。

信用してほしかったんです。

 

それなのに出来損ないでごめんなさい。

 

本来の自分が何をしたいのかわからなくて、自分一人だと何もできません。

 

批判されるのが怖くて自分のことを話すのが今でもできません。

そして、自分の気持ちに従って気持ちを表すこともできず、怒りたくても気持ちを押し殺してしまいます。

 

一人じゃ自信がもてなくて、周りの評価がやたら気になってしまって怖くて自主的に動くのが苦手です。

 

私は何もできない。

 

気づいたら空っぽの人間で、いつから私はこんな中身のない人間になったのだろう。

 

親の望む子にどうして私はなれないのだろう。

 

「いい子」がこんなに苦しくてつらい。

 

こんなに息苦しいのに私がまだ「いい子」にこだわるのは。

 

産んでよかったと思われたいから、自慢の娘だと褒められたいからで。

 

そんな私の願いはいつまでも呪いのように私を縛りつける。

 

言うことを聞いてきたはずなのに、私は「いい子」になれなくて泣いてしまう時もあった。

 

強くなりたい。なろう。

 

いつか、パパやママでなくとも、私が大切に思う人が、私を「いい子」だと褒めてくれますように。

 

そして「いい子」に縛られる私を解放してくれますように。

 

そしたら今までの私が救われる気がするから。

最初の話

私は自分のことを話すのが苦手だ。

誰かに相談をするのも得意じゃない。

でも人間というのは感情の生きものなので、楽しい、嬉しいと感じることもあれば、悲しい、つらいと感じることもある。そんな沢山の感情を相手にして生きていけば悩みはどうしても生まれてくるものだ。

 

自分のことを話すのは苦手だけれど、全ての悩みを一人で回避できるほど器用な人間でもなければ、逆に一人で背負って生きていけるほど強い人間でもないので、せめて文字に起こして吐き出せることができたらという思いでこれを書き始めた。

文才があるわけでもないけれど、話せない私にはこれしか気持ちを整理させる手段がないと思った。

幸いにも国語は嫌いじゃなかったので。

ちなみに嫌いじゃないだけで得意とは言っていない。

 

つい色々な悩みを長々と文にしてしまいがちなので「アイツ病んでる」「精神科行けよ」とか思われてたりするかもしれませんが絶対に行きません。

もちろん、何度も言うように自分のことを話すのが苦手だからというのも一つの理由。

でもそれだけじゃないです。

 

私は、自分が病気ではないと思っています。

 

私は私が嫌いで、憎くてたまらなくて、私なんて早く死んでしまえばいいと思っている。

 

でも、それと同時に大事でもあるんです。

 

こんなに大嫌いな「私」だけど、私以外の誰かが、何かが、「私」を傷つけるのは許せないんです。

 

それくらい大事な「私」だから、病気だと認めたくないんです。

 

病気だと認めてしまえば、本当に「私」はダメになってしまいそうで、大事だとすら思えなくなりそうで、私は「私」を愛せなくなりそうで、本当に死んでしまいそうで。

そうなったら誰が、「私」が生きていることを許してくれるんだろうなんて考えてしまう。

だからせめて自分のことは最低限大事にしようと思って、もう少しで肌に触れそうなところまできたカッターナイフをしまった。遺書を書くのをやめた。死ぬ方法を探すのをやめた。

 

その代わりにどうしてもしんどかった時は自室に篭もって一人で泣いた。ひたすら泣いたあとは寝た。ていうか気づいたら寝てた。

そうしてまた生きたくないけど死ぬのも怖くてできないビビリな私として生きる。

 

生きるのは好きじゃない。でも死ぬのは嫌。

だから仕方なく生きる。

 

でもいつか「自分が大好きでたまらないし生きるの楽しいぜワハハ!!!!!」とまではいかなくとも、少しは自分が生きることを許してあげたいものです。

もちろん、大好きになれたら幸せですけれど。

 

きっと明日にでも、もしかしたら夜中にはもう私の沢山ある悩みのうちの一つを詳しく書いてしまうかもしれない。

書かないかもしれないが。

書いて悩みが解決するというわけではないけれど、あくまで自己満だからいいのです。

 

楽しくない日々だけど、楽しい瞬間だって間違いなく私にも存在するのだから、もう少し頑張って生きてみようと思う。